修験道(山伏)とは何かー日本人としての生き方・人格陶冶の道【修行編(大峯山)|Vol.4】
豊かな島づくりの豊嶋です。
熊野、出羽三山での修験道体験を経て、こちらの記事にも書きましたが
【修験道(山伏)とは何かー日本人としての生き方・人格陶冶の道【概要編|Vol.1】】、
家の近く(車で1時間ほど)に修験道を本格的に学ぶことができる「講」があることが分かり、
2025年5月より本格的に修験道を始めることとなりました。
そして、2025年8月に初めて大峯山(修験道のメッカ)にて、山に登って参りました。
2泊3日の短い期間ではありますが、そこで学んだこと、感じたことをお伝えできればと思います。
はじめに
講(こう)――修験道の団体
修験道を本格的に始める場合は、どこかの「講」、つまり修験道を行う団体に所属する形となります。
修験道の山ごと(大峯山系、出羽三山系、英彦山系など)に「講」は無数に存在しています。
どこの講に所属するかは、まず第一には「自分が修験を行いたい山」で選ぶ。
それ以外では、自分の近所にある「講」を選択するのが自然な流れかと思います。
なお、道の世界においては、幾つかの講を掛け持ち・兼務することはご法度になります。
道を納める場合は、どこかに「軸足」を定め置くことが大切になります。
どこかで真摯に学び修行する姿勢がなく、色々な山々をスタンプラリーのように体験するだけではいけないと、私の修験道の先生から教えて頂きました。
もちろん、どこかの講(大峯山系など)に軸足を置いている前提で、出羽三山など他の山で学びを真摯に得ることは問題はないようです。
人としての道。日本人としての道。あらゆる道の文化を極める上で、
「軸を持つ、定める」ことは、とても大事なことだと改めて感じました。
そして私は本格的に学ぶにあたり、
「修験道のメッカ大峯山系」であること、そして自宅からも近い場所にあることから、
「秩父曼荼羅小屋」にお世話になることにしました。
正式名称は、
「大峯山内道場 龍王講社 武尚院」
となります。
講として登録されるには
私が所属する「大峯山内道場 龍王講社 武尚院」は、大峯山の護持院でもある「龍泉寺」の直講(龍泉寺より直接認可された講)に当たりますが、通常としては、大峯山の洞川村(どろがわむら)にある宿坊経由して、龍泉寺に講としての団体登録を申請する形となるようです。
しかし、講として認められること(登録される)は、そう容易い話ではないようです。
大峯山に入り登る前に
宿坊のある町――洞川村(どろがわむら)
大峯山の宿坊がある町が、「洞川村(どろがわむら)」です。
ここは村の雰囲気が古き良き日本の伝統が息づいており、
このような場所が今もなお廃れることがなく残っていることが、とても嬉しく有難く感じました。
こういった場所は後世に受け継ぎ残していきたいものです。

なお、大峯山&洞川村の一番ピークの時期は7月で、沢山の行者で今も賑わっているそうです。
しかし、それでも過去よりは行者の数も減り、また「講」の数も減っているそうです。
特に若い人は少なくなっているようでした。
日本の伝統文化・精神が詰まった「修験道」が無くならないよう、
また再興されるよう、継続的に取り組んでいきたいですし、
若い方にも発信をしていきたいと思いました。
調和、鳥の姿――天河神社昇殿参拝
宿坊に荷物を置いた後、明日からの修験道の無事を願って「天河神社」で昇殿参拝いたしました。
天河神社は昔は修験行者にしかあまり開かれていない場所だったようなのですが、
今は観光客も沢山訪れるようになりました。
昇殿参拝をするにあたり、本殿まで靴を脱いで階段を昇っていくのですが、
中央にあるご本尊にお尻を向けないよう、
左側の階段から昇る場合は左足で、
右側の階段から昇る場合は右足で、
1歩1歩昇っていくようです。
こういった作法についても、1つ1つ丁寧に教えて頂けることはとても有難いです。
そして最上段まで昇りきって正式参拝。
神社ではありますが、神仏習合の地であるため「般若心経」をお唱えしました。
般若心経をお唱えしていると、1羽の鳥が祭壇のところにとまりました。
全員で心1つに唱え、言霊のリズムが調和して、とても心地よい磁場となり、
動物も自然と寄ってきたのかなと。
不思議で貴重な出来事でした。
女人禁制の意味――母公堂参拝
そして母公堂(ははこうどう)にも参拝させて頂きました。

この母公堂の由緒ですが、大峯山の開祖である「役行者(えんのぎょうじゃ)」のことを心配した母親(渡都岐白専女(とつきしらとうめ))がやってきました。
しかし、大峯山の中は修行場であり大変厳しく危なく、
母親のために大峯山の麓に庵を作って、そこに住まわせたのが最初と言われています。
そして、母親が後を追いかけてこないように、
「女人入山禁止」の結界門を建てたようです。

大峯山は令和の時代においても「女人禁制」ですが、
これは諸説があるとは思いますが、
何か女性を排他的にしているのではなく、
開祖が母親を思う気持ちから、今でもこのようになっているようです。
個人的には「なるほど、女人禁制にはそういう由来があったのか」と、勉強になりました。
ですが、こういった伝統的な文化背景(1000年以上女人禁制の伝統文化)と、
今の時代背景(女性社会進出の影響)との「押したり引いたりの議論」は、
今後も続いていく、議論が活発化するのだろうなと感じます。
8月に修験道を行う意味
例年、大峯山は7月に登ることが多いようですが、
私が参加した2025年はスケジュールの関係で8月となりました。
8月のお盆の時期でもあり、
この時期に修験道を行う意義は、自分自身のためだけではなく、
「先祖供養」の意味も含まれます。
私利私欲に満ちた自身の魂を浄化する修行を通じて、
ご先祖の魂も一緒に浄化させていく。
そういう意味合いが8月の修験道にはあるようです。
そういったお話を事前に先生から聞いていたため、
今回の修行に臨む姿勢や意識が変わったように思います。
何事も「意味づけ」は大事ですね。
いよいよ入山――大峯山修験道
そして2日目、いよいよ大峯山へと入っていきます。
本格的な修験道の始まりです。
本来は龍泉寺近くの「第一水行場」で禊をしてから山に入り登り始めるのが正式な作法のようでしたが、今回は禊はなく、山門へと向かいました。

先達の「法螺貝」や、御経・真言を唱えてから、足を踏み入れます。
その後は仲間と息を合わせながら、1歩1歩、1段1段ゆっくりと進んでいきます。
先頭には慣れた先達が、1番後ろにも同様なので、
まだ慣れていない行者である私も安心して昇っていくことができました。
そして歩き登る際には、
「サンゲサンゲ」
「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」
と唱えます。
それ以外の私語は原則禁止です。
サンゲサンゲ、六根清浄の意味
サンゲとは「懺悔」のことです。
つまりは自分の日常生活で積もり積もった至らぬ点を反省する謙虚な姿勢を意味しています。
日常から、非日常的な山修業に入り、自然と向き合う中で、
犯した罪や過ちを自然や神仏の前で告白し、深く反省して心を清めるための重要な実践修行の一つ(声に出すかけ念仏)です。
六根清浄とは、仏教用語で
- 眼
- 耳
- 鼻
- 舌
- 身
- 意
(五感+心)
この六つの感覚器官から生じる煩悩や迷いを清らかに浄化することを意味しています。
心の在り方、解釈次第――禊ぎ祓いの雨
この日は1日雨模様。
大雨ならば大峯山は危険なので立ち入ることすらできませんが、
何とか小雨で登ることができました。
個人的には、「禊ぎ祓いの雨」だと感じました。
晴男を自負している私としては、雨が降って少し残念ではありましたが、
「より良い修行になるための恵みの雨」とプラス発想で修行に臨むようにしていました。
また、今年の夏は中々全国的にも雨が降らなかったため、
日本全体にとっては明らかに恵みの雨だなとも感じておりました。
どんな事象であっても、善悪は自分の心の在り方次第なのだなと改めて感じました。
事象は変わらないし、自然現象はどうにも変えることはできない。
ならばそれを自分の心でどう解釈するか。
その方が自分も心穏やかに過ごせるし、
また人として強く生きられると思います。
初めての行場――身を乗り出す絶壁「のぞき岩」
大峯山には、鎖場(くさりば)と呼ばれる行場があります。
ここはうっかりと注意散漫で臨めば命を失う危険性もある場所です。
今回は雨のため、岩を鉄製ロープで登る鎖場には行けなかったのですが、
「のぞき岩」と呼ばれる行場には行くことができました。
身体を大きな太いロープで括り付け、
複数名の大人にロープで引っ張ってもらい、
断崖絶壁の岩から全身を乗り出す、通称「のぞき岩」。
先達からは、
「みんなでロープで引っ張るから、落ちる心配はない、安心して」
と言われておりましたが、
体験するまでは一抹の不安を拭えませんでした。
確かに経験をしてみたら、ロープで縛られ足を持たれているので安全でしたが、
「死」「恐怖」というものを少しながら感じる貴重な体験をさせて頂きました。
時間の関係で何人も体験できるものではなく、
初参加の行者が優先になるとのこと。
となると、人生でも1度だけになることもあるかもな、と思うと
本当に貴重な経験でした。
自分のことで精いっぱい
雨風にさらされ、
また頂上に向かえば向かうほど標高も上がるため、
真夏ではあるものの極寒で身体の震えが止まりませんでした。
また雨で足元の状態も悪く、
ケガをしたり、転んだりしないよう、
自分のせいで他の人に迷惑をかけないよう、
一所懸命に登ることしか出来ませんでした。
一方、先達の方や修験道の場数を踏んでいる方々は、
周りへの気遣い(糖分、お菓子を配ったりなど)をされており、
まだまだ自分は自分のことでいっぱいいっぱいで未熟だなと素直に思いました。
仲間と一緒だからこそ成長できる、励まし合える
修験道は、1人でというよりも仲間と一緒に
「サンゲサンゲ」
「六根清浄」
を唱えながら登っていきます。
精いっぱい声を出したり、
疲れたらお互い声を掛け合ったり、
お菓子を渡し合ったり。
疲れて歩くのがきつい人の荷物を代わりに持ってあげたり、
遅い人のペースに合わせながら登ったり。
修験道は、自然の中に身を置いて感性・霊性意識を発露させるという
「非日常的な修行」である一方、
仲間と一緒だからこそ、成長できる「日常的な修行」でもあると感じました。
また雨風で本当に寒かったのですが、
1人ならば寒さと孤独感でしんどさも倍増していたように思います。
頂上へ――山上ヶ岳(大峯山寺)
そして山上ヶ岳に到着。

頂上にある大峯山寺で祀られるご本尊は「蔵王権現」です。
蔵王権現が祀られるようになったのは逸話があります。
大峯山の開祖である役行者が修行をしていると、
最初に「弁財天」が現れました。
美しすぎる弁財天(水の神様、天女)では、
死に至るかもしれない厳しい修験道を守る仏としては相応しくないと考え、
お帰り頂きました。
(その弁財天を祀っているのが天河弁財天神社)
その後、目の前に現れたのが「地蔵菩薩」。
こちらも修験道としては優しすぎる。
そして湧出岩で修行していた際、
最後に現れたのが蔵王権現(荒々しい山の神様)でした。
隠れ役行者像にご挨拶
お勤めをさせて頂いた後、
幸運なことに中に入れて頂き、「隠れ役行者像」を拝見することができました。
普段は誰でも参拝できるわけではないため、有難いことです。
ちょっと自分でも不思議な感覚なのですが、
隠れ役行者像の前にいき手を合わせたとき、
役行者が微笑んでいるように感じました。
今まで兵庫県で生まれ育ち、大峯までは比較的近かった(関東在住の方と比べれば)ものの、
中々来る機会に恵まれませんでした。
ですが、今回35歳にしてようやく修験道や大峯山にご縁を頂き来ることができ、
「よくきたな」
と優しく語り掛けて貰えたような気がしました。
目を閉じてお祈りをし、
最後に目を合わせた際には、元の役行者の表情に戻っていました。
何とも不思議でしたが、貴重な体験であり、また時間でした。
味噌汁の有難さ
その後、頂上から直ぐ下に降りたところに小屋があり、
そこで「お味噌汁」を注文、昼食となりました。
凍える身体に染み渡る味噌汁。
なんと有難いか、美味しいか。
そしてその後も、黙々と歩き、
無事に下山することができました。
色々な方の支えのお陰で修行ができる
下山した際に、母公堂まで無事に修行を終えたご挨拶に行きました。
そこを管理しているご年配の男性が、
お菓子や温かい飲み物を準備して下さりました。
また、宿坊の方々も凍え疲れた私たちを温かく迎えてくれました。
修行場には、行者を支えて下さる沢山の方々がいて、
その方々のおかげさまで修験道が成り立っていると強く実感しました。
行者だけで修験道は成り立たないと感じました。
そして、支えて下さる方々の謙虚な姿勢や、
温かい心、優しい笑顔など。
人として学ばなければならないことが沢山あるなと思いました。
山に入るだけが学びではなく、
自分の心がけ次第で、学べることは沢山眠っているとも思います。
毎年洞川村を訪れて、
ここが第二の故郷、第二の実家のような場所になっていけば嬉しく思います。
初めての斉燈護摩(さいとうごま)
下山した後、17時頃。
新しく先達になる人の補任式が行われると共に、
斉燈護摩がありました。

その日は1日中雨が降ったり止んだりの不安定な1日だったのですが、
雨は上がり曇り空になり、
何とか斉燈護摩(外で行う護摩)を執り行うことができました。
斉燈護摩とは、
屋外に護摩壇を設けて炎を焚き、
願い事を書いた護摩木を投じて、
仏の智慧の火で煩悩や災厄を焼き尽くし、
心願成就を祈る密教の伝統的な大規模な火祭り・儀式のことです。
燃え上がる炎を眺めながら、
一心不乱に般若心経・真言を唱えるその瞬間は、
無心であり邪心は一切ありませんでした。
そして、最後には祈りを込めつつ
護摩木を投げ入れさせていただきました。
10個の護摩木に込めた祈り
10個の護摩木(に書いた祈り)は、
- 立志大成
- 世界平和
- 国家安寧
- 日本創生
- 心身健全
- 事業繁栄
- 先祖供養
- 交通安全
- 学業成就
- 感謝報恩
- 豊作祈願
どれも今の自分や、日本と世界の為には大切なことを祈ることができたと思います。
その中でも、最初に書いたのが
- 立志大成
- 日本創生
- 国家安寧
- 世界平和
すんなりと迷わずに書けたため、
日々潜在意識に透徹するほどに願うことができているのかなと感じました。
さいごに
初めての大峯山修行。
自分のことで精いっぱいな2泊3日でしたが、
貴重な経験をさせて頂きました。
修験道は、「山岳・自然信仰」をベースとして、
神道・仏教・密教・陰陽道等を取り込んだ日本独自の信仰だと考えております。
経営者の方、リーダーの方や、若い方等、
沢山の方が修験道に興味を抱き、
参加してくださったら大変嬉しく思います。
私もまだ未熟ではありますが、
長い人生をかけて、
これからも少しずつ修験道を学び続けていきたいと思います。
豊かな島づくり
豊嶋
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