修験道(山伏)とは何かー日本人としての生き方・人格陶冶の道【概要編|Vol.1】
豊かな島づくりの豊嶋です。
2025年5月頃から、「修験道」を本格的に学び実践するようになりました。本稿では、修験道歴も浅い私ですが、だからこその目線で、「修験道はどういったものか」、「実際に体験して学んだこと」について赤裸々に分かりやすさを視点に書いていきたいと思います。
少し長くなりますので、今回は修験道とは何かについて【概要編Vol.1】をお書きし、後日実体験を通じて学んだことを書いてみようと思います。
今回の記事は、若手トップ・リーダーの方向けに書いていきたいと思います。(もちろん、日本精神を深く学びたい方であれば、どなたでもご覧頂けたら嬉しく思います)
なお、本稿では、修験道を「宗教的な教義」ではなく、「日本人の生き方・人格陶冶の道」として捉え、その概要をお伝えしたいと思います。
はじめに|修験道とは?なぜ始めたのか
修験道を始めたきっかけ
最初に修験道というものに興味を頂いたきっかけは「志ある周りの仲間が取り組んでいる」ということでした。林英臣先生の綜學院にて、東洋哲学や日本思想を2020年1月より学んでいたのですが、そこでの仲間の複数名が修験道を始めていました。そしてこの修験道に、今を生きる我々日本人が忘れてしまいつつある「日本の精神性」が詰まっているのではないかと感じたのが最初のきっかけです。
そして実際に「修験道」と最初にご縁を頂いた(体験した)のは前職の良知経営でした。会社経営の中で「修験道」に触れる機会があることはとても珍しいと思いますが、代表の濵田総一郎氏が、坐禅を数十年、また山伏修行も何十回と繰り返し行っている方であり、その社長と役員・幹部の計6名で熊野で実施された「修験道(山伏)合宿」に参加させて頂きました。2022年10月頃のことです。
体験したこと感じたことは後程書きたいと思いますが、1泊2日の短い合宿でしたが大変貴重な経験をさせて頂きました。
その後、修験道に興味を抱いた私は、2024年10月の出羽三山(日本三大霊山の1つ)での修験道体験を経て、本格的に修験道を学びたいと思うようになりました。その矢先、ホームページで検索していたところ、移住した小川町から1時間ほどの場所(秩父市)に修験道を学ぶことができる「講」があることが分かり、そこで2025年5月よりお世話になっております。
今はそちらの「秩父曼荼羅小屋」(正式名称は、大峯山内道場 龍王講社 武尚院)にて研鑽を積んでおります。
なお、「修験道(山伏)」と聞いてどのようなイメージをお持ちでしょうか。「名前は聞いたことあるけど、何だかよくわからない」という方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。私もまだ修行中の身ですが、今回そういった私ならではの目線で、「修験道」をテーマにお伝えをさせて頂きたいと思います。この記事を通じて、「日本の伝統・精神性」について考えるきっかけになりましたら幸いです。
修験道について
まず簡単では御座いますが、修験道の概要についてご説明したいと思います。修験道とは、日本の山岳信仰・自然崇拝をベースとして、神道、仏教(顕教)、密教、道教、陰陽道などの知恵が習合し(取り入れられ)、発展してきた日本独自の信仰です。
古くに遡れば日本人(日本列島に住む民族)は縄文古来より、「自然より生まれ、自然に還る」という価値観のもと、自然に対する畏怖の念や感謝の心を抱き、「自然信仰・崇拝」をしていました。特に威風堂々とした「山」は、日本人にとって重要な存在でありました。
例えば、山岳信仰の中でも有名で、富士山・立山と並び日本三霊山に挙げられる「白山(はくさん)」。山の頂上が雪で覆われ、「白=純白、蘇り」と考えられ、信仰の対象であり続けていました。頂上の雪が春になれば雪解け水として、人が住む里山に降り注ぎ、田畑の恵みに繋がり、五穀豊穣をもたらしてくれます。山や自然が人々に対して、「現実的な恵み」をもたらしてくれる尊い存在であり、信仰の対象になることはごく当たり前の自然の成り行きでした。
そういった経緯もあり山は元々、「信仰の対象(遠くから手を合わせて拝む対象、登るものではない)」でありましたが、6世紀~7世紀頃より、修験道の開祖によって少しずつ山が開かれていくこととなりました。
修験道の開祖は、「役行者(えんのぎょうじゃ)」であり西暦634年奈良県に生まれたとされています。日本には霊山や修験道の山が沢山あるのですが、修験道の開祖にあたる役行者にゆかりがある関係で、大峯山(奈良県)が修験道のメッカとして、毎年全国から修験道に行する者たち(修験者、行者と言います)が7月~8月頃に集まることとなります。また、前述した白山の開山は、「泰澄大師」であり682年頃の生まれとされています。
修験道の開祖が登場してからは、「山」という存在は、ただ遠くから拝み手を合わせる「信仰の対象」から、実際に山の中に入り、心身を鍛え(霊性意識を発露させ)、山から下りた後に、生まれ変わった自分自身を通じて、利他と慈悲の心で他者や社会に貢献するという「修行道場」へと変わっていきました。
補足ですが、修験道の山の中が「修行の根本道場」なのですが、それはあくまで「非日常的」な修行であり、本来は里に下りた後、日々の生活における「日常的」な修行を大事にすることも、本来の修験道的な考え方のようです。今は、年に1回夏頃に修験道の山に入ること、それで修行をしたとする風潮もあるようですが、年に1回だけ生まれ変わり、日常的に自分自身の精神性や人格を磨くことがなければ、本当の意味での修験者(人格陶冶し、人を導く者)にはなりえないということのようです。
少し余談ですが、修験道ではなく禅道の中に、「直心道場」という言葉があります。つまりは、特別な場所でなくとも、日常的に「清く正しく美しい心」を心掛け実践する場、それ自体が道場である、という意味です。山であれ禅堂であれ、非日常的な特別な場所だけが修行道場ではないということです。
昔の修験者の意外な側面
なお昔の修験者は、日本国内をまたいで移動していたようです。自分達が手に入れた有益な情報や、薬(薬草。山伏であるため)を持って各地に行っていたようです。つまり修験者は、「人助け、人の役に立つ」ために動き回っていた存在でした。その他、日本の伝統文化・芸能でもある「神楽」「能」を日本各地に広めていったのも修験者と言われています。このように、一定の期間拠点に滞在し、学びを得つつ、また全国各地を訪ね歩く生活をしていた修験者。そうして、全国各地の他の修験者とも密接に交流し、独自のネットワークも構築していたようです。
修験道の所属、対象、階級、流派、服装など
少し具体的な修験道について触れていきたいと思います。
所属
修験道を始めるにはどうすればよいのでしょうか。現代の始め方には大きく3種類が御座います。①イベント参加(年1回)、②講座研修型(年複数回開催)、③修行型(講に所属して山修業、そして日常的にも修行を行う)。
この③が本来の道を求める「修験道の姿」であり(それが絶対的な正解というわけではなく①、②もとても意義深いものです。本来の修験道の姿という意味でご理解いただけたらと思います)、そのためには「講」に所属することとなります。
私も最初は、①、②といった形で熊野・羽黒山で行われた修験道の体験講座(1泊2日)に参加させて頂きましたが、本格的に学びたくて2025年5月からは「講」に所属して研鑽することにしました。
対象
修験道は、道を求める人であれば、誰でも参加することができます。また、あとで書きますが今の修験道は「密教」に組み込まれている関係もあり、「密教僧」にならなければできないといったイメージもあるかもしれませんが、本来は山岳信仰・自然信仰がベースのものであり、「一般人の修業」であり、道を求める人であれば誰にでも開かれているものです。
また、特定の教祖や神殿、経典があるものではありません(智慧として、神道の祝詞・仏教や密教の御経を取り入れてはいますが)ので宗教ではなく、日本人の人生と生活の直ぐ傍にある「信仰」にあたるものと考えられます。
階級
日本の道の文化には、階級があります。(武道の白帯、黒帯など)修験道においては、少先達、中先達、大先達、正大先達という階級がございます。なお、日本三大修験道(大峯山、羽黒山、英彦山)や、日本三霊山(富士山、白山、立山)以外にも、修験道の行場は日本全国各地にあります。
それぞれの山に「講」が存在しておりまして、先ほどお話した階級は「免許制度」ではなく、山での非日常的な修行、また日常的な修行を踏まえて、「講」を司る師匠が、山伏寺に申請を出す形となり、そこから「補任(ぶにん)」つまり、「辞令」を受ける形となります。ですので、「講」を何らかの事情で辞めた場合は、免許制度ではないので、辞令交付を受けた階級は、効力を失う形となるようです。
流派
道の文化には流派というものがありますが、修験道でも御座います。修験道発祥の「大峯山」について述べさせていただくと、大峯山には5つの護持寺(山を維持管理するお寺)があり、その5つとは「東南院、喜蔵院、桜本坊、竹林院、龍泉寺」です。このうち、「東南院、喜蔵院、桜本坊、竹林院」の4つが「本山派」と呼ばれ天台密教系。そして、龍泉寺が当山派と呼ばれ真言密教系となります。
服装
修験道の服装や、流派や階級によって異なってきます。詳細は割愛しますが、ここでお伝えしたいのは、修験道の服装は「白」をベースにしている点です。里から山に入るということは、「生まれ変わるために1度死ぬ」「役職・肩書を脱ぎ捨て、純白な裸の心や精神状態に立ち戻る」という意味が込められています。また、山に入り厳しい修行をする中で、「そのまま亡くなってしまってもよいように(死装束)」という意味も込められています。
密教と修験道の違い
改めてですが、修験道は日本人が古来より持ってきた山岳・自然信仰をベースとして、仏教・密教・神道・陰陽道の知恵を取り入れて進化・発展をしてきた「日本独自の信仰」とお伝えしました。先ほど流派で、密教(天台系、真言系)とお伝えしたのでこんがらがるかもしれませんが、厳密には、「修験道」と「密教」とは異なっています。
修験道のベースは「山岳・自然信仰」であり、その後密教の伝来によって、密教が持つ良いところ(御経、教義、曼荼羅といった「理屈的・客観的」な叡智)を取り入れました。そして一方、密教側も修験道が持つ良いところ(自然や山の中で修行を重ね、霊性意識や直観力を高める「実践的・主観的」な側面)を取り入れました。双方、絡み合うように結びつきを強めながら、それぞれ発展を遂げてきたのが実情であります。
ですので、密教の僧侶が、修験道的な「自然・山岳の中で修行をする」ということもありますし、また修験道の行者(在家の人)が、密教的に「お経を読み、護摩をたく」ということも行います。そしてこの記事を書いている私個人は、密教の僧侶を目指しているのではなく、あくまでも修験道を学ぶ一介の行者(一般人)です。
現代において修験道は、歴史的な経緯の中で密教の中に組み込まれている状況(先ほどお伝えした流派が密教の天台系・真言系であったように)ですが、改めてになりますが、「密教」と「修験道」は信仰上のカテゴリーは異なるものであります。
修験道を体験して感じたことは次回
いかがでしたでしょうか。私も、修験道の講に所属してまだ半年ほどであり、色々と学ばせて頂いている身では御座いますが、「修験道」について全く知らない方にもぜひ知ってもらえたらなという想いと、自身の学びを更に深める上でも今回書かせて頂きました。何か少しでもご参考になりましたら幸いです。
次回は、「修験道で何をどのように学んだのか」「修験道とはどういったものか」について、私自身の体験を通じて、より具体的にお伝えしたいと思います。(こちらをクリック→修験道(山伏)とは何かー日本人としての生き方・人格陶冶の道【体験編(熊野)|Vol.2】)
豊かな島づくり
豊嶋
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