地方に回帰する未来の姿ー映画「幸せの経済学」を視聴して
豊かな島づくりの豊嶋です。
先日12月17日の夜、近所の映画館にてドキュメンタリー映画を視聴しました。
この映画館は、社会問題など色々と考えさせられ、大変勉強になる映画を取り扱っています。近所にそういった場所があることが、とても有難いです。
「幸せの経済学」の視聴と、田舎暮らしの私の所感
今回視聴した映画のタイトルは、「幸せの経済学」。
本編が公開されたのは2011年、今から15年以上も前になります。
しかしながら、まるで今の時代背景を映し出しているかのように、社会への問題提起や、西洋型資本主義がもたらしてきた弊害へのアンチテーゼが、15年以上も前から投げかけられていました。
行き過ぎた西洋型資本主義と貧富の格差、自然環境の破壊。
このままでは、地球環境、人類は破滅の道へと向かうのではないか。
そういった問題意識のもと、今後の世界はどうあるべきか、解決策は何なのか。
1時間程度という短い時間の中で、そうした問題提起と、その解決策が提示されており、映画を見ながら、これからの未来の在り方について様々な思索を巡らすきっかけとなりました。
特に、日本と世界を長期的な視点で見通す立場にあるトップ・リーダーの方には、ぜひ一度ご覧いただきたい映画です。
今回は、映画の内容を簡単に紹介しつつ、私自身の所感を述べたいと思います。
ヒマラヤの麓――精神性豊かなラダックに押し寄せたグローバリズムの影
舞台は、インド・ヒマラヤの麓にある「小チベット」と呼ばれてきた町、ラダック。
この地は、世界でも有数の高地に位置し、長らく外界から隔絶された地域でした。
人々は、農作物や衣服など生活に必要なものを自分たちの手で作り、先祖代々受け継がれてきた歴史や文化を大切にしながら、将来への不安もなく、精神的に豊かに暮らしていました。互いに助け合い、支え合いながら生きる社会が、そこには当たり前のように存在していたのです。
しかし1970年代、西洋文明、資本主義、大量消費文化、グローバリズムの波がこの地にも押し寄せます。
コカ・コーラやマクドナルドといったファストフード、煌(きら)びやかなファッション。
それまで自分たちの文化に誇りを持っていた若者たちは、次第に
「自分たちの文化は遅れている」
「私たちは何も持っていない」
「西洋の支援が必要だ」
という劣等感を抱くようになります。
清流だった川は汚染され、外部から流入する安価な農産物によって地域農業は衰退。
人と人との温かな関係性も薄れ、税制優遇などによって大資本・大企業が優遇される一方、地域の地場産業は疲弊していきました。
その結果、貧富の格差と失業者の増大が広がっていきます。
グローバリズムがもたらす弊害
映画の中では、グローバリズムがもたらす弊害として、以下の点が挙げられていました。
- 人々を不幸せにする
- 人々の不安を高める
- 自然資源を無駄にする
- 気候変動を加速させる
- 生活や文化を破壊する
- 紛争を増加させる
- 大企業のばらまき(優遇政策・補助金)の上に成り立っている
- 誤った「豊かさ」の測定の上に成り立っている
なお映画の中では、グローバリズムと、「国際貿易」「国際交流」は別物であり、それ自体を否定するものではない、という点が繰り返し強調されていました。
ここでいうグローバリズムとは、「国際金融資本主義」を指し、大資本家や大企業が各国の政治家を誘導しながら、規制・関税・ルールを撤廃、あるいは優遇措置を講じさせ、自らの利益を最大化していく構造を意味します。
その結果、一部の大資本家・大企業と、その他大勢の市民という構図が生まれ、富の二極化が進行。
経済成長(GDP)や利益の名のもとに、自然環境や各国固有の文化・アイデンティティが破壊されてきたという現実があります。
地方に回帰する――ローカリゼーションという選択
「近現代社会では、西洋型資本主義やGDPによる経済成長を過度に信仰してきたのではないか。その結果、物質的成長の裏側で、人間の精神的貧困や多くの社会問題が引き起こされてきたのではないか」と、映画は警鐘を鳴らします。
社会の大きな渦の中で、「私たちにはどうしようもできない」「自分1人ではなにもできない」と諦めてしまう人もいるかもしれない。
しかし、必ず光明はあると。
その答えとして示されたのが、「ローカリゼーション」――
自国や地域としての経済的自立、農業的自立、伝統文化やアイデンティティへの回帰でした。
お金という単一の物差しだけで豊かさを測るのではなく、
各国・各地域が、それぞれの文脈の中で「豊かさ」を再定義していくことの重要性が語られていました。
ローカリゼーションを通じて、
- 伝統文化の復興
- 人間関係の再生
- 地域内経済循環による格差の是正
- 自然環境の回復
といった社会問題の解決につながる可能性が示されています。
田舎に暮らす今の私――生活に照らしての所感
約1時間の短い映画でしたが、多くの示唆を得ることができました。
そして驚いたのは、「ローカリゼーション」の成功事例として、日本で唯一私が住む小川町が登場していたことです。
この瞬間には、「ぶわっ」と鳥肌が立ちました。小川町に日本と世界のこれからのヒントがある。そしてこれからの自分の生き様もそうでありたい、と。
移住してまだ半年ほどですが、東京の物質的な豊かさや華やかさとは無縁の生活をしています。(とはいえ、都内にも定期的に出ているので、その時は勿論ちゃんとした身なりをしています笑)
田んぼを開墾し、畑に出れば、泥だらけ、土まみれ。ジャージ姿で過ごす時間も増えました。
ですが、ここでは他人と比較することもなく、劣等感に苛まれることもありません。
ありのままの自分でいてよい、そんな何とも言えない安心感があります。
地域とのつながりも、以前とは比べものにならないほど増えました。
個人商店の店主との会話、近所のおじいちゃん・おばあちゃんとのたわいないやり取り。
自由気ままな猫との戯れ、澄んだ朝の空気と小鳥のさえずり。
梅をもらって梅干しやジュースにしたり、畑を手伝ったあとに新鮮な有機野菜を持ち帰ったり。
それを調理して食べる喜びは、どんな高級レストランよりも、私にとっては価値のある体験です。(たまには外食もしたいですし、もちろん今もたまにはしております笑)
こうした古き良き暮らしの中に、日本人である私にとっての幸せがあったのだと感じます。
そしてそれは特別日本だけに限る話でもなく、世界中のそれぞれの地域で、人々が当たり前のように営んできた生活の中に、静かに転がっていた幸せなのだと思います。
若者の自殺が増え、生きる意味を見失う人が増える今、
「何かがおかしい」と感じ、勇気を持って行動する人、新しい価値観を求める人が増えている、そして今後ますます増えていくと感じています。
なお、ローカリゼーションは一つの考え方であり、全ての答えが田舎にあるとは思っていません。
田舎暮らしによるデメリットもあると思いますし、都市や西洋型の資本主義がもたらした恩恵も、確かに存在すると私は考えています。
何か単一的、絶対的な正解があるというよりも、
物事の正解・不正解や、良いか悪いかは、「調和していること」だと思っていて、何かにどこかに偏りすぎてしまったことが問題であり、
物質的な豊かさ「も」精神的な豊かさ「も」、それらが調和する「中庸」の生き方や社会の在り方こそが、これからの時代に大事なのではないかなと思っています。
私自身の生き方も絶対的な正解ではなく、あくまで1つの実証実験、事例として。
これからも、体験を通して発信を続けていきたいと思います。
豊かな島づくり
豊嶋純平
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