人物を練る―臨済宗の禅僧のお話

こんにちは、豊かな島づくりの豊嶋です。

先日は、隣町ときがわ町にある「皎円寺(こうえんじ)」のご住職、柳瀬寛州(かんしゅう)和尚より、小川町の二葉楼にて少人数の講演会がありましたので、参加してまいりました。

講演の内容は、ご自身が人生で得られてきた師匠とのご縁、そしてその教えに関するお話でした。ご本人より「ぜひ下の名前で“寛州さん”と呼んでください」とのお言葉もありましたが、本稿では敬意を込めて寛州和尚と書かせていただきます。

寛州和尚から学び、気付いたこと

印象的だったこと、学びになったこと、気付き等を中心に書かせていただきます。

隠れても徳はあらわれる

最初の師匠は、加藤耕山老師。東京五日市の徳運院という場所で、ひっそりとお勤めをされていたそうですが、それにもかかわらず雲水(修行僧)が次々と参集したとのことでした。

そこで語られた、

「隠れていても、徳はあらわれる」

という言葉が、とても印象に残りました。

参集した雲水の中の一人が、今回講話してくださった寛州和尚の父(有禅老師)だったそうです。父は耕山老師をたたえて、「地面から根が張っていた人」という言葉を残されたとのことで、この表現も強く心に残っています。

また、96歳でお亡くなりになるまで、毎朝2時30分には必ず起きて坐禅を組まれていたそうです。(どんな時も20時には就寝)坐禅を通じて丹田を鍛え抜いた結果、信じられないほど固くなっていたというお話もありました。

修行を極めた人の境地や偉大さを思い知ると同時に、外へ外へと自己を主張するのではなく、内へ内へと己の魂と向き合い、人格を磨くことの大切さを学ばせていただきました。そうすれば、自然と徳のもとに、いずれ人が集まるのだと。


人物を練る道

講話してくださった寛州和尚は、柔和で誠実なお人柄がにじみ出る方でした。しかし講和では、若い頃は父である有禅老師への強い反発心があったことも、素直に語られていました。

当時の時代背景や、修行僧としての厳しさもあったのだと思いますが、家庭内での緊張感が強く、幼少期には葛藤があったそうです。

そして10代後半、「今なら大丈夫」と意を決して体当たりで歯向かったものの、全く歯が立たなかったというエピソードも語られました。その後、禅の道に入り、修行を重ねる中で、父の背中の大きさと真価に気づくようになっていったとのことでした。

この話は、私自身の体験とも重なりました。18歳の頃、父に強く反発し、関係が途絶えていた時期があります。そこから10年ほどの時を経て、ようやく自然に話せるようになりました。

人徳ある方も、最初から完成された聖人ではなく、煩悩や葛藤の中を、ただひたすらに道を歩み、今の境地に至っている。その姿や事実は、人の道を求めている途中の私にとって、大きな励みとなりました。人物は、一朝一夕ではなく、時間と修養によって練られていくのだと改めて実感致しました。


むすび

今回の講話会は、二葉楼の八木社長よりご案内をいただき、参加することができました。貴重なご縁と機会をいただけましたこと、心より感謝申し上げます。

何よりも、寛州和尚のお人柄に直接触れ、その背景や歩みを伺えたことが、大きな学びであり励みとなりました。

冒頭で寛州和尚が語られた、

「私のような修行中の身で、師匠のことを語るのは忍びない」

という本心から絞り出すように発せられた言葉に、深い謙虚さが滲んでおり、深く感じ入るものがありましたし、「こういう人でありたい」とそう素直に感じました。

早朝の坐禅会も開催されているとのことで、「いつでもどうぞ」と温かく声をかけていただきました。現在、臨済宗の全生庵でも坐禅を組んでおりますが、こちらにもぜひ定期的に参禅したいと思います。

人の道を一歩ずつ、追い求めて。

豊かな島づくり代表

豊嶋純平

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