経営の神様「松下幸之助」とは、どんな人物なのか。
豊かな島づくりの豊嶋です。
本日は、松下電工(現パナソニック)の創業者である 松下幸之助翁 について書いていきたいと思います。
先人の生きざま・伝記に触れることの大きなメリットは、
自分の人生を見つめ直すきっかけになることだと考えています。
特に、「幼少期〜若いころの生い立ち」を見ていくことは、とても大切です。
偉人として活躍した中年期・晩年期の「行動指針」や「考え方」の基盤には、
幼少期〜青年期の出来事(原点)が大きく影響していることが多いからです。
10代・20代の方の参考になるよう、
「幼少期〜青年期」 を中心に松下幸之助翁について「できる限り分かりやすく」書いていきます。
もちろん、30代以降の方にとっても学びや気づきがある内容だと思いますので、ぜひご覧ください。
大経営者!松下幸之助とはどんな人物なのか?
ではさっそく、松下幸之助翁の半生を見ていきましょう。
晩年の華々しい活躍が注目されがちですが、
実は幼少期から不遇の連続だったのが松下幸之助翁です。
「何かを成し遂げた偉人は、必ずどこかで艱難辛苦を味わっている」
そう感じさせられる人生でもあります。
松下幸之助の半生(幼少期〜青年期)
幼少期
松下幸之助翁は、1894年、和歌山県に生まれました。
幸之助翁の祖父は事業を成功させ、村会議員を務めていたそうです。
松下幸之助翁も、民間人・経営者として事業を成功させたのち、
政治の改革を志し、晩年には「松下政経塾」を開きました。
やはり、先祖代々DNAで受け継がれるもの(宿命・個性など)が誰しもあるのだと感じます。
そんな松下幸之助翁は、8人きょうだいの末っ子でしたが、
7人の兄弟は20代〜30代で次々と亡くなっていきました。
『次は自分の番かもしれない』
そんな思いで、死を身近に感じていたことと思われます。
大きな志を持ち、何かを成し遂げる人物は、
「死」をどこかで強く意識して生きていることが多いように感じます。
限られた命の中で、自分はどう生きるのか——という死生観を持っているのです。
やがて父親が事業に失敗し、家は貧困に陥ります。
その経験から、
「せめて幼い幸之助が商売人として食べていけるように」と、
父は幸之助を丁稚奉公に出すことを決めます。最初は火鉢屋さんでした。
松下幸之助翁がまだ9歳の頃のことです。
母親とはここで離ればなれになり(紀ノ川駅での別れ)、
その後、父の死を経て、母親は再婚することになります。
時代的にも火鉢の需要が落ちていたこともあり、
松下幸之助翁が店に入って3ヶ月ほどで店は閉店。
その後、自転車屋さんで働くことになります。
そこでは、奥さんにお母さんのような親しみを感じていたようです。
幼い頃から母親と離れていたので、自然な感情だったのだと思います。
ある時、自転車屋の社員みんなで写真を撮る予定があり、
幸之助翁もそれを楽しみにしていましたが、
自転車の配達に行っている間に撮影が終わってしまいました。
泣くほどショックを受け、ひどく落ち込む幸之助翁。
それを見た奥さんは、悲しみに暮れる幸之助翁を思いやり、
2人だけで写真を撮りに行ってくれたそうです。
この写真は、幸之助翁が生涯大切に持ち続けていたと言われています。
血のつながらない自分にも家族のように優しく接してくれた——
そこから、のちの「家族経営」的な思想が育まれたのではないかと感じます。
この自転車屋さんで、松下幸之助翁は 5年4ヶ月 を過ごし、
家族の温もりと、商売の厳しさを身をもって体験していきました。
15歳の決断
当時、日本では路面電車が走り始め、時代の変化が起こっていました。
そうした変化を肌で感じていた松下幸之助翁は、
お世話になった自転車屋さんをこっそり辞め、
大阪電燈(現在の関西電力)に入社することを決断します。
18歳になると、
「出世するには学問が必要だ」と考え、関西商工学校に通い始めます。
電気科に入学したものの、授業についていけず、
「自分には学歴をつけて社内出世することは難しい」と感じるようになります。
そして、次第に「独立」を意識するようになりました。
学校の成績も決して良くなく、健康状態もあまり良くありませんでした。
それでも幸之助翁は、常にポジティブに物事を捉えていたようです。
「体が弱くて寝込む時間が多いなら、その分“考える時間”に充てられる」
そう考え、夜な夜な読書に耽っていたと言われています。
そして20歳の頃、結婚します。
22歳で独立
大阪電燈で仕事ぶりが評価され、検査員になっていた松下幸之助翁。
ある日、自分で作った新しい電球ソケットの試作品を上司に見せたところ、
「こんなの使いものにならない」と一蹴されてしまいます。
その出来事をきっかけに、幸之助翁は独立を決意。
のちの松下電工を立ち上げ、数多くのヒット商品を生み出していくことになります。
プロダクトアウトとマーケットイン
ここで少し、物を生み出すときの発想について触れておきたいと思います。
何かを発明・開発する際の発想には、大きく2つの考え方があります。
- プロダクトアウト
- マーケットイン
プロダクトアウトとは、
「市場がどうこうよりも、自分たちが良いと思うものを作る」という発想です。
ソニーのウォークマンや、スティーブ・ジョブズのiPhoneなどは、その典型と言えるでしょう。
一方、マーケットインとは、
「市場が今、何を必要としているか」に耳を傾け、そのニーズに応える形で商品を作る発想です。
例えば、
「電気をつけたい人」と「アイロンを使いたい人」が同時にいる状況を見て、
それらを同時に使えるようにするための二股ソケット(プラグ)を考案したのが松下幸之助翁です。
これはまさに、世の中のニーズを捉えた マーケットイン の発想と言えるでしょう。
事業を着実に進めていく中で、
幸之助翁は自社のブランド名を「ナショナル」にすることを決めました。
そこには、「国民のための製品」という意味が込められていました。
会社や製品を通じて、人々の暮らしや社会を良くしていきたい——
松下幸之助翁の偉大な志が、ここからも伝わってきます。
世界大恐慌と「社員は家族」という考え方
1929年、世界大恐慌でモノが売れなくなってしまったときのことです。
従業員からは「リストラすべきだ」という提案もあったと言われています。
しかし松下幸之助翁は、
「製造と販売を一致させる(製販一致)」という方法をとり、
製造部の社員にも販売に回ってもらうことで、何とか売上を確保し、
社員をクビにしない道を選びました。
「社員は家族同然である」という考えが、ここにはっきりと表れています。
松下幸之助を理解するためのポイント
ここからは、松下幸之助翁の特徴を、いくつかの視点から見ていきたいと思います。
① 考え抜く力がピカイチ
松下幸之助翁は、とにかく「徹底的に考え抜く力」が優れていたと言われています。
絶えず読書をし、物事について深く考え続けていたそうです。
思考力は、
①地頭 × ②思考時間 × ③思考意欲(集中度)
の3要素に分けて考えることができますが、
松下幸之助翁は特に「思考時間」と「思考意欲」において突出していたと感じます。
算数のように興味がないことはすぐに飽きてしまうけれど、
「教育のこと」「人の幸せ」についてなら、いくらでも考え続けられる——
そういった“何についてなら考え続けられるのか”という部分が、思考意欲です。
自分の身体が弱く、寝込む日々が多かったという一見ネガティブな状況すら、
「考える時間に充てられる」と前向きにとらえ、自分の成長につなげていった。
ここに、幸之助翁らしさがよく表れていると思います。
② 過去の常識にとらわれないビジネス手法
自社製品を売るために無料サンプルを配ったり、
先ほど触れたような「製販一致体制」を敷くなど、
当時としては新しいビジネス手法を次々と打ち出していきました。
過去のやり方に縛られず、
「どうすればお客様にとって良いか」「どうすれば社員を守れるか」を基準に動いていたのだと思います。
③ 組織制度でも“とらわれない”
日本で初めて「事業部制」を導入し、
各事業部に採算の責任を持たせる仕組みをつくったのも松下幸之助翁です。
これも、過去の組織体制にとらわれず、
「より良い形」を自ら考え、導入していった例と言えるでしょう。
④ 水道哲学
松下電工(のちの松下電器産業)の経営哲学として有名なのが、「水道哲学」です。
「水道の水のように、貴重なものでも安く豊富に供給できれば、人々は奪い合う必要がなくなる」
という考え方です。
まだ日本が貧しく、国民に十分なモノが行きわたっていなかった時代に、
「物質や製品を水のように行きわたらせることで、みんなの幸せにつながる」
と考えたわけです。
ここからも、自社の利益だけでなく、
国民の生活や幸福度の向上 を本気で願っていたことが伝わってきます。
また、PHP(Peace and Happiness through Prosperity)という言葉があります。
「繁栄によって平和と幸福を」という意味で、
物心ともに豊かな真の繁栄を実現することで、人々に平和と幸福をもたらしたい——
そんな願いが込められています。
この思いを実現するために、松下幸之助翁はPHP研究所を設立しました。
その活動は今も続いています。
⑤ 商売に対する考え方
松下幸之助翁の商売に対する考え方は、大きく3つにまとめられます。
- 自分がやっている商売には、社会的な意義があること。
- 相手の心が読めること(=マーケットインの発想)。
- 相手よりも頭が下がっていること。
どれも、今の時代にも通用する、とても本質的な考え方だと感じます。
さいごに
いかがでしたでしょうか。
日本の大経営者・松下幸之助翁の生涯と、その人物像について、
簡単ではありますが触れさせていただきました。
松下幸之助翁は、幼少期の不遇、家計の苦しさからの丁稚奉公、
兄弟や両親との別れ、体の弱さ、会社の経営危機など、
様々な苦難・困難をくぐり抜けながら事業を興し、拡大していきました。
そうした苦難・困難を経験し、それを乗り越えてきた人だからこそ、
人生に深みが生まれ、その人が語る言葉に救われる人も多いのだと思います。
松下幸之助翁は、製品やモノの普及・繁栄を通じて、
人と社会全体の幸福度を高めることを目指しました。
そして、その思いは今日において、ある程度実現されたと言えるかもしれません。
しかし今の社会は、
モノや地位・名誉を手に入れるだけでは、
なかなか幸福を感じられないほど成熟してきました。
そのような中で、
今後どうやって幸福度を高めていくのか
自分にとっての幸せとは何か
これを考えることは、私たち一人ひとりに与えられた大きなテーマのように感じます。
それが、今の日本をつくってくださった松下幸之助翁をはじめ、
先人たちへのささやかな恩返しにもなるのではないでしょうか。
豊かな島づくり
豊嶋純平
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