日本人、志士の生き様についての学び
豊かな島づくりの豊嶋です。21日(土)に林英臣先生の講演を受けて参りました。
もともとは、京都綜學院の一期生で約3年間、また東京綜學院においてもビジター枠で約3年間、定期的に学問研鑽に励んできました。
この度は学んだことの内、幾つか印象的な内容や言葉について、書かせて頂きます。
■学問の大事さ―「靖献遺言(せいけんいげん)」
吉田松陰先生は、孟子はさることながら、「靖献遺言(せいけんいげん)」を読み、深く感銘を受けていたといいます。
お恥ずかしながら、私はこの事実を存じ上げておらず、吉田松陰先生を尊敬しながらも知っていない自らの薄学を反省いたしました。
この書籍は、中国における忠義の志士の言行録。幕末維新期の志士達の愛読書とのことでした。
志に生きるとは何か。その原点に触れる書として、私も早速購入し、読み進めてみたいと思います。
■大高慢(だいこうまん)と、傲慢のちがい
大高慢で生きる。
幕末維新の志士たちは、みな大高慢であったといいます。
大高慢とは、「自分ひとりでもやる」という気概。社会変革の先頭ランナーとして走る覚悟。自分ひとりでも国を担う覚悟と意志を持つことを指します。
改めて私も、豊かな島づくりという旗印のもと、「日本創生と世界平和」という何ともスケールの大きな志を掲げています。現実は決して平坦ではなく、金銭的なめども立っているとは言えない状況です。
それでも、自分の掲げた志や理念を信じ、なかなか理解されづらいことであっても、自分の道を信じて、ただひたすら歩んでいこうと、心を定めました。
そして大高慢と似て非なる言葉として、「傲慢」があります。
日本語(大和言葉)は、濁点が付くと意味が(あまり良くない方向へ)変わることがあります。
林先生以外で聞いた話ですが、
意志(いし)が濁れば意地(いじ)になり、
口(くち)が濁れば愚痴(ぐち)になり、
徳(とく)が濁れば毒(どく)になる。
高慢(こうまん)ではなく、傲慢(ごうまん)とは、自分の能力や立場を過信し、奢り高ぶり、人を見下す態度や心理状態を指します。
全く意味は異なります。
志や一灯を信じて真っすぐに歩み続ける大高慢さを持ちながらも、同時に驕り高ぶることなく、常に感謝と謙虚さを忘れずに在りたい――そのように改めて感じる次第です。
■志は無我
葉隠武士道の「死ぬことと見つけたり」の要諦は、「志は大変な道であり、早く死ぬ可能性が高いが、それでも命を懸けられるほどのものに出逢い、生きる」という覚悟にあるといいます。志の道は険しい。しかし、それに生きてこそ武士たるゆえんである。
志とは、士と心で出来ています。
士(サムライ)は、漢字の「之」の変形とも言われ、「心が一つの方向に向かって真っすぐに向かうさま」を示しているとも伝えられています。
志という言葉は、時に自己実現(夢・願望)と混在して語られることもあります。しかし本来の志の意味には、「利他」が含まれるのではないでしょうか。
地位や名誉や役職のためではなく、「世の為、人の為」に生きること。
私心や私欲に囚われず、公欲・大欲・大義のために生きること。
林先生より、「志とは無我である」と伺い、自分の果たすべき志や使命に私心が入り込んでいないだろうか――そういう視点で我が身を振り返ることの大切さに気付かせて頂きました。
自分の我を亡くして生きること。
それは神人合一、天神合一の境地へと近づく歩みであり、東洋・日本の理想の在り方であると、改めて強く感じました。
■世界のための日本再興
故・村山節先生が確立された「文明法則史学」によれば、東洋と西洋の文明が800年周期で入れ替わり、1975年~2075年の100年間がその転換期に当たるといわれています。そして2025年~2050年頃が大激変期にあたるとも言われています。
世界中が大混乱・混迷の状況にある今、日本という国をいかに守り、再興するか。
それは、日本という国が世界の平和のために果たすべき役割を担っていると信じるからに他なりません。
一人ひとりが志を持つこと。
まずは日本を豊かにしていくこと。
そしてその先に、世界への貢献があること。
日本と日本人の使命を、改めて静かに見つめ直す時間となりました。
■むすびにかえて
内容もさることながら、迫力に満ちた講義に、会場の磁場と熱気が高まっていました。久しぶりに講義を拝聴しましたが、改めて、頭以上に魂に刺さる――そんな内容でございました。
過去に聴いた内容もありましたが、自分の置かれた状況によって、学びや心の受け止め方が変わる。
これこそが人間学の醍醐味であり、生涯、死ぬまで学び続ける学問の道なのだと、改めて感じる次第です。
これからも学ぶことをやめず、人としての歩みを進めてまいりたいと思います。
豊かな島づくり代表
豊嶋純平
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